精神の健康を取り戻すというよりも、最初から安定していないんだと思う。あとやっぱりADHDとしか思えない。
 勝手に配達してくれるカタログ見てたらキッチンの収納をどうにかしたくなって、必要でもない薄型壁面収納を買いそうになっていて怖い。ずーっとほしいと思っている洋服やバッグとかは買えないのに同等の金額の電気製品や家具はすぐに買ってしまう。あとアルコールも。なるべく控えているけれど、お金がなくても削れない。
 キッチンから意識をそらすために自室の模様替え。収納スペースを充実させたんだけど、もはやクローゼットの中にベッドを置いているに近い状況。


 今日もけだるい、面倒な気分でお稽古に。しかし、やっぱり終わってみればすっきりなのである。いろんな面倒があるけれど、そこをどう乗り切るかは自分の力次第でもある。八方美人とか、嘘とかは苦手だけど、なんとか頑張ります。乗り気ではなかった明日のお稽古も頑張ります。脚の故障が治らないことには成長には繋がらないんだけど、まずは覚えるところくらいは頑張ろう。こんなに頻繁にお稽古に行けるのも年内いっぱい。今を大切にすごそう。この気持ちわすれないようにしなければ。


 振り返って、発狂するに至った本当の原因は、自分の居場所がなかったからだと思う。今だってない。だから不安定。以前は仕事の中に自分の絶対的な存在感を作り出し、居場所とすることができた。しかし、本領が発揮できない業務について以来、自分がいなくても回る会社に寂しさを覚え、どんどん道を狭め、暗くなって過ごしてきたのだろう。今だって、自分の居場所がなくて寂しい。辛い。家族は、家族ではあるけれど、ある意味他人の域に達している。親しい人たちこそ自分の居場所なのだと実感したのは、ここ数か月のこと。お稽古事を再開したり、開始したりする中で新しい人間関係があり、煩わしいことも多いけれど、楽しいことも多い。自身を持てず卑下してばかりのわたしは、嫌われたらどうしよう、嫌われているかもしれない、という不安に苛まれることも度々ある。けど、年を重ねるとだんだん図太くなってきて、嫌われているならば仕方ない。嫌われるようなことをしたわたしが悪いんだか、そもそも気が合わないんだか、など考えてみるけど、深刻さは減ってきた。卑屈にならないでまっすぐに生きていきたい。わたしを大切にしてくれる人たちに感謝しつつ、わたしもその人たちを大切にしていきたい。